工作・産業機械の総合機能商社 株式会社兼松KGKの 1980年代ページ

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1980年代

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KGKのあゆみ

デジタル技術に飛躍の80年台、モノづくりの効率化と共に

《80年代の輸出ビジネス展開と自動化対応》

1981年10月、アメリカのシカゴにKGK International Corp.を設立しました。これは兼松江商との合弁事業であり、将来専門商社として輸出面でも進出すべく発足したものでした。
1982年3月、兵庫県加古川市に播磨出張所を開設し、東京都豊玉中にNCセンターをオープンしました。NCセンターの活用目的は、工作機械は急激なNC(数値制御)化が進み、生産現場は、フレキシブル生産システム(FMS):コンピューターによる制御、ロボット化による無人化、自動生産体制化して行くと観測されていた動きに対応するためのものでした。工作機械の販売の拡大は依然進めるものの、将来の産業の発展を見据え、お客様のニーズに応じて、コンピューターによる設計(CAD)やコンピューターで工場全体を稼働させ、無人化する方法(DNC、FMS)などを積極的に研究し取り入れ、製品化を行い、共に産業を発展する方向に向かってゆきました。

1982年(昭和57)年は4月、資本金を3億円に増資し、6月には杉本太郎が社長に、田口重雄が会長にそれぞれ就任しました。

1983年3月期は、売上高526億円と業界をリードする「500億円企業」になっていました。同年4月、全国各地に開設されていた出張所を全て「営業所」と呼称変更しました。これにより、営業所は合計14店舗、事業所は、東京本社、名古屋支店と大阪支店、NCセンターを加えた18店舗となりました。
同年8月、3次元自動プログラミングシステムのタム株式会社の株式を取得して系列子会社に加えました。ソフトウェアの新規開発に、より多くの人材と資金を注入できる体制となり、その一翼を担っていたのがNCセンターでした。
(NCセンターとコンピューター利用技術商品のタムは、別途「あゆみ」記事があります。)

東京練馬区NCセンター
(写真:東京練馬区NCセンター)

タムシステム TAM-BOY
(写真:タムシステムTAM-BOY)

TAM-BOYで描かれた描画
(写真:TAM-BOYで描かれた描画)

1984年、創立20周年を迎えました。同年2月に東京晴海の国際見本市会場A館で「創立20周年記念KGKマシンツール'84」を開催しました。工作機械専門商社としての大規模な試みとなった展示会には、出品協賛いただいた会社20社、機種は30種を超え、来場者数は1万人を上回り、681件に及ぶ引き合いと、展示会の4日間で22億円の成約を得ました。
同年、東京は32年ぶりの大寒波に見舞われ、吹雪の中での準備作業が連日続きました。防火対策計画、消防法令の下、館内に火気(石油ストーブなど)を持ち込む事が出来ない環境下での作業でした。カイロは必須のアイテムで、毎日300個以上を消費し、晴海界隈のスーパー、薬局などからカイロが消えてしまったほどの現象となりました。

《社名改称とバブル期》

1984年4月、兼松江商㈱から工作機械の対米輸出入の商権を譲受されました。
同年7月、静岡県浜松市伝馬町に浜松営業所を開設しました。
1985年3月、第22期となる売上高は、約662億円と過去最高を記録しました。
同年12月、社名を株式会社KGK(ケージーケィ)に変更しました。
同12月、大阪支店を吹田市江坂町にあるベーンビルに移転しました。その周辺は機械メーカー、機械ディーラーが数多く出店しており「江坂機械村」とも呼ばれる環境でした。大阪支店にもNCセンターとショールーム機能を持たせていました。

1986年8月、名古屋支店は名古屋市名東区高社に移転しました。ショールームの付いた事務所は、工作機械の展示もさることながら、自動プロのタムの常設展示、デモ、教育の実施のためでした。

1986年3月期、売上高は、約709億円と前年の記録を更に更新しました。
しかしこの時期、円高、ドル安傾向が続き、素材産業、自動車をはじめとする輸出関連産業などの業績悪化に加えて重厚長大産業の産業構造問題が表面化、製造業の空洞化も進行して、工作機械業界は減速を余儀なくされました。

その様な背景から、1987年3月期、売上高は、549億円と前年比22.5%のマイナスを記録しました。土地価格は急騰、バブル景気に沸く日本でした。工作機械業界への恩恵は殆ど波及しませんでした。

1987年10月、米ニューヨーク証券取引所で株価が暴落、マスコミは「ブラックマンデー」と命名しました。これにより円高ドル安に拍車がかかり、年末には1ドル122円に。
不況の逆風が吹き荒れ、米国向け輸出自主規制が続くなか、国内需要は、バブル景気で個人消費が伸び、ようやく民間製造業などでも設備投資に着手するようになったため、売上を一挙挽回するに至りました。

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